GO RIGHT~ハンドメイドと日々~

*ハンドメイドや健康情報や地域ネタなど書いています*

ただつらつらと。

今日の記事は少し迷いながら、書こうと思います。


読む人の数だけ異論反論同調があるでしょうが、
個人的な想いを書くだけですのでご容赦願います🙏🏻



三浦春馬さんが亡くなってから
彼のことが頭から離れません。


特別ファンというわけではなかったはずなのに、です。



あんなに才能ある人がもうこの世にいないなんて


外見(顔も体も)も、歌声も、演技も、全部恵まれていたのに


ビックネームの人たちがみんな彼を友達として大切に思っていたのに



いろんな感情はあるけれど一番は、


これまで積み上げてきた輝かしいものすべてを失くしてしまうなんて、
どうして、



だと思うんです。



誰でもが経験できない世界で、
誰でもが見ることのできない景色を見て、
三浦春馬という表現者を、
努力でここまでに作ってきた。


それまでの経験を持って、この先も生きていったなら
いったいどれだけの人物になっていただろう。
どれだけの新しい世界を見ることができただろう。



たらればの、
考えても仕方のないことを
どうしても考えてしまうのです。



自殺する人に対して、
死を選ぶのにはそれだけの理由があるとよく言うけれど、


本当にそうでしょうか。


死にたいと思う日があって、
それが何日も、何か月も続いたとしても、
誤解を恐れずに言えば、
偶然が重ならないと、死は選べないと私は思うんです。


すべてが紙一重。




私は彼が、
死んでしまった自分を知って後悔しているんじゃないかと
勝手に想像しています。




あれだけキラキラしていた人が、この先の自分をたとえば
――魔が差して――『いらない!』と思っただけで
本当の本当には、自分自身を終わらせる気なんてなかったと
私は思っていたいのです。



全部やり切った!
もう十分!
・・・と、本人が本気で思った末の行動だとしても、です。




たまたま、
偶然が重なって、


死んでしまっただけ。



そう思い込むと、現実は変わらないけれど、
心の中の、重苦しい部分をほんの少しだけ
取り除いでくれる気がするのです。










話が前後しますが、


私がなぜ、
彼のファンじゃなかったのか、
それには理由があります。



ずいぶん前のことですが、
『わたしを離さないで』というドラマがありました。



そのドラマでの役柄が、作中通りの『人間ではない何者か』そのものでした。
私は、
怖くて、彼を直視できませんでした。


そこからは、彼がどんな素敵な役を演じていても、
そのドラマを見ていた当時の自分の感情がよみがえってきて不安定になるのです。



ということは、


それだけ
彼は本物の“役者”であった


ということなのでしょうね。



素晴らしい役者さんです。
本当に。




三浦春馬というひとりの人間を失って初めて、


どうやら、
ファンじゃなかった、というのは私の思い込みだったと
今は認めることができています。


でなければ、
彼を失った喪失感をここまでは引っ張れない。




――もっと、応援したかった。
その後悔が
私を苦しくさせているのだと思います。


だから一生懸命、
自分なりの落としどころを探して


ああでもない、
こうでもない、
を勝手に想像して


自分を慰めているのでしょうね。



みなさんにもたぶん、
自分なりの乗り越え方があることと思います。


想像に、正解(良い)も不正解(悪い)もないので
心の中では自由に、彼を想うことが
時間薬ではないですが、
必要な時期なのかなと感じています。

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